第78回 西日本学生会計学研究会
財務諸表利用者の観点から見た財務情報としての業績の意義と在り方に関する一考察
発表者:中京大学会計学研究会 山内啓示
日 時:2011年11月26日
場 所:関西学院大学
序論
第一章 経済的利益と利益概念
第一節 フィッシャーの所得と純利益
第二節 ヒックスの所得と包括利益
第二章 投資者から見た業績情報
結論
文献目録
IASB[1]の業績報告プロジェクト(performance reporting project)は、そもそも業績とは何かという、会計の根幹にかかわる問題を投げかけながら、その議論を回避すべく名前を財務諸表の表示(financial statement presentation project)に変え、あくまで表示上の問題として議論されている。我が国におけるコンバージェンスプロジェクトでも、その名が「財務諸表の表示」と銘打たれ、業績とは何かという根源的問題には踏み込むことなく議論が進められている。
しかしながら、会計が真に有用なものとして社会の要請に応え続ける為には、財務諸表において本来的に報告されるべき業績情報とは何であるかということについて、その本質に踏み込んで考察しておくことが不可欠なのではないだろうか。
本論では、財務諸表利用者として、広く投資者を想定し、その情報ニーズと財務諸表のレリバンスに焦点を当てつつ、業績の意義とあり方について見当を加えてゆくこととしたい。
業績情報の意義とあり方を検討するにあたって、本論ではまず、経済学における所得の概念にその切り口を求めくことにしたい。古くアダムスミスからの系譜を持つ概念思考であり、我々の考察にも大きな一助になると期待される。
まず、フィッシャーの資本と所得の概念について触れたい。
フィッシャーは、各個人の経験した出来事に着目し、その出来事の中で得た享楽こそが所得であると考えた。しかし、享楽の様な心理的・主観的事物を直接的・客観的に測定することは物理的に不可能であるため、その近似概念を考察していった。そこで、享楽を享受する上で必要となった費用に着目し、測定することに主眼が置かれたのである。例えば、人が運送を目的にトラックを利用しようというとき、その運送から得られる享楽・幸福感こそが本来的意義の所得であるが、その幸福感を測定することは不可能であるため、その利用に掛かった対価の額を調べることで、幸福感の測定に代えたのである。[2]
費用の測定を以って幸福感=所得の測定に代えるということは、即ち、収入金額のうち、投資・貯蓄に回された額は享楽に結びつかないものとして所得から除外し、一方で、所得が収入金額を上回る場合でもその超過部分も所得に含めることを意味する。[3]
また、資本財についてフィッシャーは、将来の所得をもたらすものとしてこれを捉え、将来の所得の割引計算によって、その価値が算定されるべきものとした。つまり、いかに現在の資本財の時価(またはその他の直接的価値、以下同じ)が幾らのものであろうとも、その時価を以ってその資本財の価値とされるべきではなく、その資本財の生み出す将来の享楽を通じて、資本財の価値が測定されるべきであると考えたのである。[4]
以上のフィッシャーの論理は、下の図1に集約される。
すなわち、資本財の費消により得た享楽を所得と考え、その対価をもって所得価値を測定する。所得の源泉たる資本財の価値は、所得価値を割り引くことで測定されるのである。
▼図 1[5]
以上がフィッシャーの個人所得の概念であるが、これを企業会計の論理に取り入れるには、事業概念を取り入れる形で考察が深められなければならない。事業活動では、その享楽を直接に、あるいはその享楽を通じて算出した享楽(商品)を顧客に提供して、収益を獲得することこそが唯一の目的をされているから、企業がたとえ役務の提供を受け、あるいは物資を購入・利用に供したとしても、それが収益の獲得に結びつかなければ、それは享楽ではなく、単なる損失に分類されてしまうのではないのだろうか。つまり、フィッシャーは、享楽を直接測定するのは不可能であるとして、その費用に着目したが、事業活動においては、費用よりもそれに対応する収益に享楽の根本が存在するといえるのではないだろうか。
以上の考察を先の図1に組み入れると、資本・所得の関係は、次の図2の通りとなると考察される。
すなわち、資本財の費消によりサービスや物品の提供を受けるが、事業においては、それ自体では享楽とならないため、所得にならず、資本財の費消に対応した顧客からの財貨獲得こそが享楽であり所得となる。そこで獲得した財貨の価額をもって所得の金額が測定され、それに利益率を加味することで、もともとの資本財の価値が測定されるのである。
▼図 2
こうした観念は、収益費用アプローチに通じるものであり、ここでの所得概念は、純利益に通じるものである。たしかに、収益費用アプローチは取得原価主義に通じるものであり、フィッシャーの所得概念のように資産を割引価値で測定するということは有り得ない。また、複式簿記では、貸借対照表項目の評価と損益の計上は表裏一体の関係にあるため、フィッシャーの所得概念をそのまま複式簿記に当てはめた場合には、―これはリンダール氏も論じていることでもあるが―、算出される所得の金額は単なる資本財の利息額に帰結してしまい、会計上の企業業績として意味を成さないものになってしまう。したがって、フィッシャーの所得概念を用いた場合の所得金額・貸借対照表価額と、収益費用アプローチで計算されるそれらの金額とは、額としては一致しない。しかし、対応・獲得・実現の3概念を用いて所得を考えるとこが先行させ、それに基づいて資本の価値を導出するというアプローチは、まさに収益費用アプローチに通じるものであり、所得から資本価値を導くというフィッシャーの思考とも整合するものであると考えられる。
続いて、ヒックスの所得と資本の理論に移りたい。
ヒックスは、消費生活を営む上で、支出の限度を把握したり、支出の計画を考えたりすることは重要であると考え、「思慮ある行為の指針」[6]としての所得概念を追い求め、所得を「彼が一週間のうちに消費し得て、しかもなお週末における彼の経済状態が週初におけると同一であることを期待しうるような最大額」[7]と定義づけた。
その一方で、この所得の中心的定義のままでは、何をもって「経済状態が同一」考えるのかはっきりせず、測定困難であるとして、その近似概念を求めていったのである[8]。
ヒックスはまず、単に週初における保有貨幣額と週末における保有貨幣額が等しければ経済状態が同一であるものと看做し、見込収入をもって所得第一号とした。しかし現実には、われわれの経済状態は利子率や物価の変動に常にさらされており、同一の金額を保有していても、同一の経済状態にあるとは言えないと考えた。そこで、「個人が今週に消費し得て、しかもこれにつづく各週に実物で同じ額を費消しうることを期待できるような、最大の貨幣額」との近似概念を所得第三号として定義した[9]。
この所得第三号の測定では、まず、週初における経済状態が測定され、それとは独立した形で、次に週末における経済状態が測定される。週末における経済状態の測定では、週初の経済状態との比較可能性に配慮し、週初からの物価・利子率の変動などが考慮される。[10]
フィッシャーの所得概念で、耐久消費財の費消が、配分の概念で測定されるべきものとされていることは既に述べたが、ヒックスの所得概念では、どのように考えられているのであろうか。この点については、ヒックスは、「諸財に対する完全な古物市場があって、それらに対する市場価値が、各特定の損耗度に応じて、精確に評価されうるとするならば、消費による価値喪失はこれを精確に測定することができる」[11]として、時価の評価差額をもって費消原価の測定に充てるべきものとしている。これは。ヒックス氏が理論を確立した当時においては、未だ、割引価値の概念が確立していなかった為にこう考察されたものと考えられる。しかし、行為の指針―とりわけ貯蓄計画は、耐久消費財の残存利用可能性を念頭に考慮されるべきものであるから、真に「行為の指針」としての所得を追及するのであれば、資本価値は費用配分に基づいて算定されるべきではないだろうか。
さて、こうしたヒックスの所得概念であるが、この概念も、そのままでは企業会計の論理に取り入れるにあたって問題があると考える。ヒックスの所得概念は、「期待しうるような」[12]とあるように、あくまでも週初あるいはそれ以前に、前もって所得を把握したい場合の概念であると考えられる。ヒックスが「行為の指針」[13]としての所得概念を追い求めていたことを想起すれば当然の帰着である。しかし、企業会計においては、会計期間の終了時点から見た当該会計期間の業績の報告が求められており、こうした事前の所得と呼ばれる見方は企業会計にそぐわないのではないだろうか。
それでは、ヒックスにとって、事後の所得とは何なのだろうか。この点についてヒックスは、「個人の消費の価値プラス週間に生じた彼の見込額の貨幣価値の増分」[14]としている。この利益概念は、利子率や物価の変動を考慮に入れておらず、客観的に測定可能なものである[15]。こうした特長は、企業会計における利益概念と適合的であり、企業会計の論理に組み入れるにあたって、有用性の高いものであると考えられる。
以上のヒックスの概念を数式で表すと次のようになる。
所得=期中消費額+期末資本価値−期首資本価値
この数式から見ても明らかなように、ヒックスの所得概念は、資本価値が独立変数に、所得が従属変数になっている点で、フィッシャーと大きく異なっている。クリーンサープラスをそのまま数式にあらわしたとも言え、ヒックスが考察した一連の観念は、資産負債アプローチに通じるものであると考えられる。
本章では、財務諸表利用者の立場から、どのような業績情報が有用であるか考察する。
序論に述べたように、本論では財務諸表利用者として投資者を想定している。投資者は、投資によるキャピタルゲインとインカムゲインの合計が最大化される投資案件に投資する。
キャピタルゲインが最大化される投資案件は、投資対象の将来の財政状態が最良になると予想される投資案件である。したがって、投資者は、投資判断に当たって、将来における投資対象企業の財政状態の予測情報を必要とする。将来の財政状態の予測には、非財務の情報も含めて、多様な情報を必要とするが、業績面からは特に将来利益の情報と、その予測に役立つと考えられる当期利益の有用性が高いものと考えられる。
インカムゲインが最大化される投資案件は、将来の配当可能利益が最大化される投資案件であり、各期の業績面の情報は、その予測に用いられるものと考えられる。
即ち、当期業績の情報には、一義的には、将来の財政状態と配当可能利益を予測するに当たっての有用性が求められていると考えられる。
では、この場合の業績情報としては、フィッシャーの所得概念とヒックスの所得概念のうち、どちらが有用であろうか。答えはフィッシャーである。それは、第一に、将来の財政状態の予測の上では、財政状態計算の基礎となるべき業績情報の提供が必要であるからであり、第二に、将来の配当可能利益の予測には、時価による財政状態評価から求められた業績情報よりも、配当可能利益としての意義を持った業績情報の方が有用であると考えられるからである。
しかし一方で、ヒックス流の利益も、企業価値評価の結果として、投資者にとって重要な意義を有していると考えられる。
ヒックスの所得概念と企業価値との関係は、Ohlsonモデルで次のように説明できる。
まず、投資者から見たインカムゲインは、期待将来配当の割引現在価値額であり、それは、をt期の期待配当、rを割引率として、次のVで表される。[16]
@
次に、ヒックスの所得概念では、クリーンサープラスが成り立つから、をt期末の配当後純資産価額、をt期の利益とすると、
A
の関係が成立する。[17]
さらに、企業利益のうち期首純資産の金銭価値変動分を上回る部分をとすると、
B
となる。[18]
ここで、Bをについて解き、Aへ代入すると、
となり、これを@へ代入すると、
が導出される。[19]
このように、ヒックス流の利益は、企業価値評価と密接に結びついており、フィッシャー流の利益と異なって、可能な限り将来予測をすることなく企業価値が評価できるのである。この性質ゆえ、ヒックス流の利益は、企業価値の指標として、市場の評価を形成する上で有用なのではないかと考える。
一般に投資者は、単に自己の予見のみに基づいて投資判断を行うのではなく、市場の一般的見解と自己の予測の差を考慮して投資判断を行っている。投資者は、自己の予測に基づく企業価値に比して、市場で形成された企業価値の方が安ければ買い、逆に高ければ売るという投資判断をしているのである。
こうした見地に立てば、必要な情報は二つである。すなわち、将来予測の作業を多く経なければ企業価値が評価できないフィッシャー流の業績情報を投資判断のインプット情報として提示する一方で、予測作業が可能か限り排除可能なヒックス流の利益を企業価値評価に関する指標を提供し、以って市場の一般的見解を醸成することが会計に求められているのではないだろうか。
こうした情報提供への具体的方策としては、まず第一に、リサイクリング要件を整理するべきである。IAS1号の反対意見にも示されているように、現行のIFRSでは、どういう場合にリサイクリングを行い、どういう場合に行わないかといったことが画一的に定められておらず、個別の基準ごとに検討が行われている。この現状を放置すれば、本来リサイクリングされなければならない項目にリサイクリング禁止規定が付されることにもなりかねず、純利益が、その意義を大きく損ないかねないことになる。そして第二に、包括利益の業績指標性を強調することである。そのための手段として、たとえば、一計算書に統一することも考えられる。
企業価値評価のインプット情報とアウトプット情報を適正に表示し、より有意義な情報を提供しうる財務諸表が生まれることを切に願う次第である。
本論では、純利益と包括利益の意義について考えるに当たり、まず、その背景にある経済的所得の概念について述べ、資本との関係を明らかにした。次に投資者の投資判断にあたっての業績情報の意義について考察し、純利益と包括利益の間の相違が、企業価値評価のインプット情報であるかアウトプット情報であるかの違いであることを解き明かし、最後に、投資者の投資行動において、その双方が重要であると結論付けた。
投資者の投資行動においては、自らの見解に基づく予測と、市場の一般的見解の双方を個別・独立的に判断することが必要であって、そうした要請にこたえる上でも、純利益・包括利益の双方を適正に表示してゆくことが望まれる。
■文献
FisherIrving. 『近代経済学古典選集12 利子論』(原著作:『The Theory of Interest』) (第 1 版). (気賀勘重, 気賀健三, 訳) 日本経済評論社. (1980) .
HicksRichardJohn. 『価値と資本:経済理論の若干の基本原理に関する研究』(原著作:『Value And Capital:An Inquiry into Some Fundamental Principles of Economic Theory』) (第 2 版, 第 上 巻). (安井琢磨, 熊谷尚夫, 訳) 岩波書店. (1995) .
WilliamHBeaver. 『財務報告革命』(原著作:『Financial Reporting:An Accounting Revolution』 (第 3 版). (伊藤邦雄, 訳) 白桃書房. (2010) .
杉井弘和. 『企業財務論』 (第 改訂版 版). 税務経理協会. (1994).
辻山栄子. (1991). 『所得概念と会計測定』. 森山書店.
辻山栄子. 「会計上の資本利益計算」. ( 塩原一郎, 『現代会計:継承と変革の狭間で』創成社. (2004). (ページ: 103-113).所収)
LindahlElick.. 「The concept of income」( HenryRobertPaker, ColinGeoffreyHarcourt, GWhittington, 『Reading in The Concept And Measurement of Income』 (第 2 版, ページ: 82-90). Philip Allan. (1986)所収)
■雑誌・論文
三木正幸. 「経済的所得と会計的利益:企業利益概念の純化のために」. 『香川大学経済論叢』(1973).45(5-6).
青淵正幸.「Ohlsonモデルで測定された株主価値による株価水準の検証」. 『信州短期大学研究紀要』(2001). 13.
辻山栄子.「業績報告をめぐる国際的動向と会計研究の課題 (特集 財務報告・監査の課題と展望)」.『會計』(2003).163(2)
辻山栄子.「国際会計基準の争点―2つの利益概念をめぐる意見対立―」. 『早稲田研究紀要』 (2004). 59.
■会計基準
IASB IAS第1号 財務諸表の表示
[1] International Accounting Standard Board.国際会計基準審議会。
[2] [Fisher, 1980, ページ: 3-8]
[3] [Fisher, 1980, ページ: 8-13]
[4] [Fisher, 1980, ページ: 13-16]
[5] [辻山栄子, 1991, ページ: 23]
[6] [Hicks, 1995, ページ: 304]
[7] [Hicks, 1995, ページ: 304]
[8] [辻山栄子, 1991, ページ: 16]
[9] [Hicks, 1995, ページ: 304-307]
[10] [辻山栄子, 1991, ページ: 307-308]
[11] [Hicks, 1995, ページ: 309-310]
[12] [Hicks, 1995, ページ: 304]
[13] [Hicks, 1995, ページ: 304]
[14] [Hicks, 1995, ページ: 313]
[15] [Hicks, 1995, ページ: 314-316]
[16] [青淵正幸, 2001, ページ: 30]
[17] [青淵正幸, 2001, ページ: 30]
[18] [青淵正幸, 2001, ページ: 30]
[19] [青淵正幸, 2001, ページ: 30]