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実行委員の日常をブログとして書いていきます。

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念願のブログ

初めまして、こんにちは!ビンゴ1年のこじまなづきです。
この度念願のブログを書くことになりました!!!わーい!!!
いざ書くとなると、何を書けばって感じですが…(笑)

確かビンゴ企画の紹介は本祭前に、尊敬する森健人先輩によってされているかと思いますのでやめましょう。
最近ですね、2年生女子の先輩方とお話する機会が多くなりまして、ほんとに嬉しいです!実はビンゴは5人いる中、女子は私だけでして、女子の先輩方と関わるのが少なかったので、最近「なづきちゃーん」って呼んでもらえるのがほんとに、もう、、、みなさん、、、私鼻血出ますよってレベルに嬉しいです(笑)
ずっと後輩でいたいと思いますが、時は流れ時代は移り変わるのが世の常であります。来年に向けて自分自身も成長させつつ、第66回本祭の準備もしていきたいです。

なんか、ふざけてるのか?と思いきや急に真面目に語ってしまった気がしますが…(笑)

以上念願のブログでした。
今後も中京大学祭名古屋実行委員会をよろしくお願いします。

2018年11月30日

もう・・・すごい。。。

どうもおはこんばんにちは。
初めまして、ブースの1年 平田です。

まずみなさん、本当にお疲れ様でした!!

初学祭ながらも自分達なりに頑張っていた1年生。
豊富な経験と知識で引っ張っていってくださった先輩方。
誰もが本祭三日間のために全力で、その姿はとてもかっこよかったです。

私も、慣れない環境の中、学祭に関わる全ての人に楽しんでもらいたい、という思いがすごく大きかったです。(これでも自分なりに努力しました 足りないのはわかっているんですけど。わかってます足りないのは頭ですよね行動力ですよね…)

ちなみに私は高校の時にも文化祭実行委員会に所属していたんですが、
も う 規 模 が
凄いですね都会って(違う

そして本祭が終わった今、思いました。

仕事ができる人になりたい。

マニュアルも覚えられないわ周りを全然見ていないから気づかないわで未だにゼロの信頼度をなんとかあげていきたいです。来年にむけて頑張ります。先輩、色々迷惑かけすぎて本当にごめんなさい。

話は変わりますが、実は私もこの学祭ブログ隠れ愛読者なんです。サイレントリーダーですよ。自分もまさかここにカキコすることになるとは…
画面を下にスクロールしてみてください。

何なんですかこのハイレベルなギャグセンの嵐。
無理無理無理!!飛ばされちゃう!!!


そろそろこの大して高くもないテンションを保つのも限界です。正直恥ずかしいです。ブースの1年生も書きますよね?このブログ。
うわこいつ何やねん…って思われないうちにさっさと去りましょうね。
では!

2018年11月29日

クリスマスが今年もやってくる

こんばんよう!
渉外の黒柳です!

すっかり冬ですね
もう11月も終わり、12月
クリスマス、大晦日に忘年会
お金が飛んでいくぅー(><)
みなさんは大丈夫ですか?
僕は、、、バイト頑張ります笑

クリスマスと言えばプレゼント
何買うか決めましたか?
もしくは何が貰えそうですか?
果たして僕は貰えるのでしょうか笑
絶賛募集してるので是非お願いします笑

高校3年間は悲しいクリスマスだったので
大学生は楽しいクリスマスにしたいです笑
それでは、良い11月を!
(* ̄▽ ̄)ノ~~ マタネー♪

2018年11月29日

Thank you so much.

皆さまこんにちは
ブログを書くのは1年ぶりですね
先代である第64回の情宣局長と言った方がこのブログでは伝わり易いのかもしれません。しかしながら今日は第65回の実行委員長寺西として話をしようと思っています。
もう学祭も終わり、思う存分自分の好きな事をダラダラと公表しても、もう何も誰からも言われないと考えると嬉しくもあり、同時に寂しくもあります。
以前であれば、学祭ブログで内輪の話ばかりをするのはおかしい等を色々と考えていました。
しかしながら、この学祭の実行委員につきまとう責任や重みはどこから来ているのでしょうか?

私がこのような事を書くのは意外であると感じる方も少なくはないでしょうが、私個人の認識においては未だ、大学祭は実行委員の為にあってはならないのだろうかという1年生のような疑問を何処かに孕んでいます。
大学祭とは何の為にあるのか、大学祭とは何を目的としているのか、どうあれば大学祭は成功であると言えるのか、このような答えが見つかることがないであろう問いを、私はこの3年間常に考えていました。

結論から言うと、私は3年間かけてもこの問いへの明瞭な答えを持つことが叶わず、それでも皆を導く為に自分にとっての最善を腹に据えてそれを貫き通してきました。もしかしたら…ではなく、もしかしなくとも、その最善は全員にとっての最善では無かったのでしょう。その最善を共有する方法としては間違っているかもしれませんが、私の学祭においてその最善を持つに至った過程を話せば、今までその最善を分かってくれなかった人も、そんな事を考えた事も無かった人も、ある程度理解が出来るはずだと思ったので、場違いではありますが話していこうと思います。


僕にとっての最善を探す最初の段階は1年生の頃の先輩と仲良くなり、会室に通い詰めた日々でした。知っている人もいるかもしれませんが、会室には過去第14回から現在に至るまで膨大な数の資料があります。最初に大学祭とは何なのか、どうあるべきなのかが、全く知り得なかった段階においては、過去の歴史によりどういった考えを持って先人が大学祭を作っていったのかという事を学ぶほかなかったからです。
会室にある資料は全て読みました。写真も殆ど見たと思います。フロッピーディスクは流石にドライブが無かったので、読み取ることが出来ませんでした。勿論先輩という生きる資料がいる訳ですから、先輩ととても仲良くなり、様々な学祭に関する話をしてきました。
これにより私には同学年や先輩とも比べても遜色ない程の知識が自分の中についたのだと思っております。そこで培った知識は私の中で大きな自信になりました。

私自身の意見は定まらない所にあり、絶えず迷い続けていましたが、少なくとも過去の先輩方の意思や考えを代弁する事は出来るようになったので、話し合いや討論の場においても、自分の意見を交えつつ、意義ある発言をする事が出来たと考えています。つまりは過去の資料から自分の意見ではなく学祭の正道を見つける事ができたのです。


そして、ある程度の知識を得た1年生の次の段階で私が常に意識してきた事は現状の体制を批判する事です。過去から得た正道と現状を比較してどちらが正しく、より良いのかという判断をします。批判と聞くとネガティブなイメージを持たれるかもしれませんが、不満や疑問こそが組織の成長においては必要不可欠なものです。根拠なき批判や独り善がりな不満は全くと言って良いほど無駄なものでありますが、しっかり全体の目線に立った時に感じる不満は本物です。自分を捨て、組織の目線で行う批判は組織の成長の糧となります。そしてその際、正道とも通ずるものではありますがもう1つ必要なものがあります。

それは、管理側の目線に立つ事です。

管理側の目線に立つ事というのは何も難しい事ではありません。ただ深く考えてみるだけの事です。指示や命令を貰った際にそれがどういう意図でどのような流れで下ってきたものなのかという事に目を向ければ自然と組織の形であったり、管理者の意図が理解できるようになるものです。私は1年生の頃から組織を管理したり、動かす側に回りたいと強く思っておりましたから、自分の所属している団体の指示系統や組織図などを知りたくなるのは必然であると言えるでしょう。そしてその管理側の目線と正道を持って現行の体制を批判すれば、大学祭実行委員会を正しい方向に導く事が出来るでしょう。


そして次の段階としては2年生の時に幹部になるというものがありました。先述した通り、1年生の段階で知識や目線を培ってきたつもりではありますが、大学祭実行委員会においては大学祭本祭の経験が全てです。そこで学ぶものはそれまでの準備の周到さに比例し、それまでの1年間の準備全てにも勝るほどの経験を積む事が出来ます。
通常は代替わりの時の2年生が次世代の幹部をやりますから、その人達に本祭の経験で1年劣っている1年生である私が次の幹部になるのは無理にも思われる程の壁があると考えています。それでも相対的にみて、私自身を私が1年生の時の2年生の中に投影してみても、私の知識や判断する目や、管理側の視点というのが優れているものであれば私は幹部になる事が出来ると思っていました。

何故そこまで2年生での幹部というものにこだわっていたかというと、理由は2つあります。1つ目の理由は恥ずかしながら私が自身の仕事の枠を自らの立場において制限してしまう人間であったからです。幹部になりその仕事の枠を無理矢理に広げる事でより広範囲へ意見する事が可能になると考えていたからです。
そして2つ目の理由は、幹部という肩書きの便利さが欲しいと考えたからです。やはり、学祭実行委員会においても、他の組織においても先輩へ意見するというのは精神的に難しい事であると同時に、出る杭は打たれるという言葉がある通り、1部では後輩であるという理由だけで意見を聞いてくれなかったり、生意気だと思われてしまう事が少なくありません。しかしだからといってその中で正道という価値判断の基準を得た私が違うものに違うと、もしくは良いものに良いと言わなくては職務怠慢です。であるから、早いうちに杭を打たれる側から、打つ側に立場や目線を移動しなければならなかったのです。それが幹部になる事にこだわった理由です。


そして結果的には2年生の時に幹部である情宣局長へ就任しました。


立候補時には情宣局長という位置への拘りというのは特にはありませんでした。
幹部という責務に伴う力を目的の為に活用したかったというのが大きな部分を占めていますから、副実長にも立候補しました。(実長選にも出たかったのですが、規則上その時の2年生からのみの立候補だったのでする事が出来ませんでした。)結果、情宣局長に選ばれたという形になりましたが、それは結果、私にとって思いつく限り最高の結果となりました。情宣というのは範囲が極端に広く、情報の宣伝をするという事にはキリが無く、宣伝をするには全ての企画や、運営ひいては大学祭について全て知らなくては出来ないと考えています。それをするにあたって私は、幸いにも1年生の時に培った知識を持っていましたし、媒体として必要なPCにも興味がありましたから、勉強をするのには抵抗はありませんでした。1年生の頃も広告という部署に入ってパンフレットを作っていました。元々広報系に興味があったことと、大学祭について広く知れる部署であったので性質が情宣と似ています。そんな事もあってか情宣局長に就任した訳です。情宣という部署は私の先代までは局長1人の部署でしたが、学祭にとってはとても大切な部署なので私の代からは局員を募集しようと考えていました。結果それは叶い、局員がいる情宣局は様々な新しい事に挑戦する事が出来ました。

私の情宣局長としての仕事はトライアンドエラーという言葉に集約されています。私の情宣としての最初の仕事はHPの移行から始まりました。今迄WIXというサイトで作っていたホームページを学校のサーバーに移さなくてはならないと学校側から通達がされたからです。
完全に時代を遡行する通達ではありますが、セキュリティを考えると断る事も出来ません。結果、サーバーを学校のものに移す事でWIXは使えなくなり、自分達でHPを作る必要が出てきました。それまでHPを作ったことなど全くなかった私ではありましたが、勉強をし、HTMLを手書きし、HPを作れるようになりました。しかし、私がHTMLを書けても他の人がHPの更新が出来ないでは困るのでホームページビルダーというソフトを購入し、作成しました。そこで新たな問題として、学校の指定する転送形式とホームページビルダーを使って送れる転送形式が違うという事態がおきました。つまりはホームページを作成出来てもアップロードする事が出来ないわけです。そこで形式を変換する方法を模索して、計10回程失敗した末にようやく形になりました。


そして次なる壁は部下の育成です。当然2年生ですから、部下を持ったのも始めてのことです。そもそも学祭の情宣は局員を持つ部署ではなく、局長1人のみの部署でしたから、私も分かっておらず、部下も分かっておらずという状況で始まりました。ひとつ上の凜薫と同い年の榎谷と3人で情宣としてはじまりまし。途中で1年生の陽雄が入ってきて、4人の情宣をやっていましたが、今の情宣の数を見たら歴代の情宣局長はなんと言うだろうかと思います。そして1年生だった陽雄くんが今では頼もしくなってとても嬉しいです。64回の情宣はみんながマイペースなので、ゆるゆると仕事をやり、余った仕事は私が全部やる形を取ってたので非常にサクサク仕事は進みましたし、情宣の人に幹部の仕事を手伝ってもらったりしていました。

これも彼らのマイペースさに対して私が順応しきれなかった事もあり、多くのトライアンドエラーを繰り返しましたが、結局ここで学んだのは、人に仕事を頼んだ時にその仕事が行われなくても怒ってはいけないという事です。
我々はお金を貰って仕事をしている訳ではないので仕事に対するモチベーションは常に上下して、下のままの人もいます。そんな人に仕事を頼んだって、それはやったりやらなかったりまちまちなのです。しかし、その人が悪い訳ではなく、あくまでやってくれたらラッキー程度に考える物だと思いました。
僕は64回の情宣の雰囲気をとても好きですし、今でも恋しくすら思っています。しかし、その雰囲気を守る為には人のペースにケチをつけることをしてはならないと考えています。
そういった努力もあり、64回情宣局はそれぞれが得意な事やセンスを持ち寄って出来上がった最高の部署でした。
しかし、部署としては色々やりたい事がありましたが、今度は幹部としての仕事が多くなりました。そもそも63回のころから資料のチェック等はしていたので幹部としての仕事が色々と回ってきたのは必然ではありました。そして夏に近づくにつれて私は情宣の仕事に割く時間よりも全体としての仕事に割く時間の比率が上がっていきました。冬や春は冬旅行程度だったので情宣の仕事には支障をきたす事はありませんでしたが、最後の方は人員表を作ったり、大量の資料のチェックや度重なる会議で、やる事をほとんど部下に任せる必要があったので64回の情宣局のメンバーにはとても助けられました。

そして夏になると実長選挙があります。2年生の時にこれだけ全体の仕事をして学祭を動かす事を実践しましたから、正直学祭に対する悔い等はなく、3年目を続ける意味も無いかとも考えていました。しかしながら、であれば私以上に学祭を動かせる人がいるだろうかと考えると思い浮かびませんでした。もちろん他の人でも出来るか出来ないかで言えば出来るとは思っていましたが、それが最善かと考えると疑問が残ると思い実行委員長に立候補しました。この時の判断があっていたのか、間違っていたのかは終わった今でも正直明確にはわかりません。しかし、合っていたとは言い切れませんが、少なくとも間違っていなかったと私自身は信じています。


そして、実長選挙を経て次期実長になったのは良いですが、そこからがとても忙しい日々でした。人員表を作ったり、その他の流れや穴を塞いでいく作業が多くありました。幹部1年目はやはり、何が全体にあって、どこに穴が開いているのかというのは知識としてはあってもなかなか理解しきれないのです。
つまりは予測が立てれずに空いてしまった穴を塞ぐ形になったので手探り状態で大変でした。
64回は63回の実長がすごい人だったので不安を持って始まりましたが、その不安通りに多くの予期せぬトラブルがあったように思えます。しかしながら、それを解決する時こそ自分が成長していることが理解できる時でもあるので同時に楽しくもありました。
これは僕の考えですが、学祭はある程度まっさらにしてから作り直さなければ、その年の色は出ないと思います。そういった意味で64回は色が弱い気もしていました。63回の引き継ぎに頼りつつ、まるでそのおさらいをしているかのような感覚がありました。


しかしながらそんな状態でも月日は流れて学祭は始まります。当日は人の動きを全て指示したので電話は鳴り続け、電話をしている最中にもキャッチが入り、それを受けると更に次のキャッチが入るという状況でした。正直企画に対して、人数が少ない状況だったのでOB.OGにも手伝ってもらいましたし、
やるべき事で雁字搦めになりつつもなんとか終わらせた。それが僕の64回でした。

そして世代が変わり、65回に突入しました。65回は正直なところ、アウトプットの連続でした。幹部において学べる事の多くは64回で既に学んでいましたから、僕個人にとっては非常に学びの少ない1年間でした。もちろんリーダー論や組織の管理論等の本は読み漁りましたが、結局ビジネス書は営利団体における、報酬を前提とした管理論になるので、非営利の報酬のない大学祭に当てはまる事は少なく、組織の体系や流れについてばかりを考えていました。

それと、学校の職員の方と広い結びつきをもっていましたから、携帯電話に直接連絡が来ることが非常に多くありました。しかし、それによって救われた事も多いので、職員の方々と仲良くするのは決して悪い事ではありません。
出来るだけ顔を広げておくのが良いと思います。
ただあくまで仕事上の間柄である事を忘れないでください。こちらも組織の人間であり、向こうも組織の人間です。ある程度の利害を持って接してきますし、こちらもそのように接するべきです。
学祭としてどうしても通したい事がある時や、向こうからの提案で譲れないものがある時にその仲の良さが阻むようでは意味がありません。しっかりと通すべきところは通す、仲良くしても自分が何のために仲良くなっているかを忘れないでください。

こうして振り返ってみると様々なことを思っていますが、全ての集約として「組織人になること」これが全てだと思います。組織人とは組織の事を思って、その組織にとっての目線で常に物事を考えられる人間の事です。(どこかの本みたいですが、僕の造語です。単純な言葉なので本とかにもあるかもしれませんが…)それは、自分の意見とは別に組織について深く考える能力がある人のことです。
僕は正直これだけやってもなりきれたとは思っていません。普段は常に自分の意見をおしこめて、組織のためにどうかという判断をする事は出来ていたと思います。しかし、日常生活をしている中で不意に学祭としての意見を求められた時などに切り替えが上手くいかなかった事もあります。そのオンオフの切り替えが下手なのでここ1年くらいはずっとオンの状態にしていました。そのせいで授業等も学祭の視点からしか見れず損をしたとも思っています。しかし、それくらいやらねば僕にはある程度のレベルまで自分に浸透させる事が出来なかったのだと思います。


僕は本来ルーズで興味の無いことには何も興味が湧かない人間ではありますが、組織人としての視点からキッチリやるよう自分を律して、興味無かろうが人の話を聞いたりという事をしてきました。
そういった組織の為に自分すら変えれる事が組織人になる1歩だと思います。
しかしながら、組織人になろうとする事による弊害もあります。それは組織人を目指す人は独り善がりになりやすいという事です。組織の為にというのは、組織の目的達成の為にという意味です。決して組織の中の人間だけの為という意味ではありません。しかしそこを履き違える人が多く見受けられ、結果独り善がりの組織になってしまう事で目的達成から遠のく事があります。
しっかりと上述した正道を持って本来の意味での組織人にならねばなりません。
そういった人が多く生まれてくれる事こそ私が望むところでもあります。

 


最後に学祭の更なる発展を祈ってもう少し話をしようと思います。


私は65回の学祭が終わった時点でとてつもない悔しさを感じました。3年間なんでも出来ると提唱していた学祭において、この1年間これからを見据えて新しいことに着手して色々始めた事もあります。要らない枠組みを取っ払って時代に即した形に戻そうと色々と変えました。
しかしながら、その1年の結晶たる65回の大学祭においても大学祭の範疇でしかなく、それを壊す事を出来ないでいました。
大学祭は場所の制約、お金の制約、規則の制約等の様々な制約に雁字搦めです。つまり、学祭でのなんでも出来るというのは結局井の中の蛙であり、籠の中の鳥でしかありません。しかし、この中にいてはその範疇でしか物事が出来ずに、天井が知れているのです。
この僕が見た天井というのは大学祭の発展を遂げる為には破る、もしくは高くする必要があります。
それをするのがどれだけ後の代になるかは分かりませんが、早く全体のレベルとして、少なくともその天井にスレスレの部分に持っていく必要があると思います。
そうしなければ学祭の進歩とは言えません。
どうか、レベルの低い話やちっぽけなプライドや何かの為に学祭の進歩を妨げるような事はしないでください。高みを目指す意識の共有をしてください。
それが終わってしまった私から後輩たちに伝える唯一の私情です。

以上、長々と書きましたが、正直私なら読む気にはならんので自己満足です。
ありがとうございました。

2018年11月29日

フレンズ

こんばんよう!渉外の黒柳です!
持ち込み制でブログを書くことになりました
これからたまぁ~に書いていきます笑
暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです

今回は僕の個性的なフレンズを紹介したいと思います
僕の周りには楽しいフレンズがたくさんいるんですよ!
みんなが長袖になっていく中で半袖を貫きとおす、暑がりフレンズ
いろんな人からパシられることを生きがいとする、自己犠牲フレンズ
髪の毛が半分緑色の
YouTuberで既視感フレンズ
落ち込んだり喜んだりを繰り返す
情緒不安定フレンズ
パソコンが壊れて仕事できない
PCクラッシャーフレンズ
ダイエットが進まない
目前に食べ物があると食べちゃう系フレンズ



いろんなフレンズがいるんですよ笑
まだまだ沢山いるんですが、今回はここまで

また次回のブログでお会いしましょう!
ヾ(o´∀`)ノバーイ

2018年11月22日
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